滝本秀隆 短編小説シリーズ 第5作「見積書」

見積書
泉州ホンダ岸和田湾岸営業所は、大阪・岸和田市にある湾岸道路に面する自動車販売ディーラーだ。
 泉州地域ではなぜかホンダ車の人気が高く、ホンダファンが多い。不思議に思った私は、以前店の先輩にどうしてこの地域はホンダが良く売れるのか訊ねたことがあったが、「このあたりはヤンキーが多いからだ」という答えにならない答えが返って来た。
 ヤンキーにはそれほどホンダファンが多いのだろうか?私には良く分からなかったが、秋のだんじり祭りを見に行くと、確かに大量のヤンキーの姿を見ることができた。
 私はこの店に配属されてもう10年になる営業マン、村上博和。この店ではトップの成績を誇るセールス・リーダーである。
 おっと、店の駐車場に1台の軽四が飛び込んで来た。私は条件反射のように店の外に飛び出て、お客様を迎えた。
「いらっしゃいませ!」私は誰にも負けない大きな声を張り上げた。客は、母と娘らしい女性ふたり組だ。なんとなくふたり共ファッションは、ヤンキーっぽかった。私はショールーム内に案内した。
「まずは席にお座りください。今日はどのような用件でしょうか?」
「新車よ、新車!新車を買いたいからわざわざやってきたの!」
 20歳くらいの娘の方が生意気な口調で言った。
「ありがとうございます。私は営業の村上と申します。まずはお飲み物をお伺いします」
 私はふたりの前にドリンクメニューを翳した。ふたりから飲み物のオーダーを受けたところで、私は本題を訊ねた。
「ところで、ご希望の車種はお決まりでしょうか?」
「N-BOXよ!カスタムで、ターボで、色は黒。この条件で早く見積もりを出して!」
「かしこまりました!」私は女王に仕える召使いのような返事をしながら、心の中ではしめしめ、と思った。車種だけでなくタイプや色まで決めている客は、最速で契約できるケースが多いのだ。あとは、客が納得できる値引き額を示し、勝負を決めるだけだ。
「お待たせしました。これが見積書でございます」
 私はおもむろに見積書をテーブルの上に拡げた。見積書を眺めていた娘が目をつり上げて低い声で言った。
「なにこれ!?」
「何でございましょう」
「車体本体価格が183万円なのに、どうして合計総額が254万になるのよ!70万円も余分に高くなってるじゃない!」
「それを今から説明させていただきます」私は努めて冷静な口調で、ゆっくり分かり易く説明していった。
「まず見積り書の真ん中の列をご覧下さい。これは自動車の登録に絶対必要な諸費用の明細です。自動車税や自賠責保険、車庫証明や希望ナンバー代などの合計が182,480円となっております」
「これは、分かるわ」
「次に、右側の列の説明です。こちらはオプションの明細となっており、お得な『ベーシックパック』は、フロアマット、ドアバイザー、ライセンスフレームに加えていつまでも新車の輝きを保つ『プレミアムコーティング』をパックしたものが、153,000円となっております。『ナビパック』は、8インチインターナビにドライブレコーダー、ナビ画面保護フィルム、ナビを盗難から守るナビゲーションロックの3点がセットになり、305,000円となっております。さらに『メンテナンスパック』は、5年間のメンテナンスが無料になる安心サービスが68,900円となっております」
「このなんとかパックって本当に必要なんですか?」
 今まで黙っていた母親が初めて口を開いた。
「いずれも必要な物をセットしてお買い得価格で提供しております。ほとんどのお客様がこのパックを付けていただき、喜んでいただいております」
「みんなが付けているんなら、それでいいわ。それより、合計金額からどれだけ値引きしてもらえるかが問題やね」
 車購入の決定権はあくまで娘の方にあるらしい。やはり最終的には、値引き額次第のようだ。
「精一杯頑張らせていただきますよ。今お乗りのお車は下取りに出されるのでしょうか?」
「もちろんよ。下取りと値引きでどれだけ引いてもらえるのか、せいぜい頑張ってね」
 口の減らない娘だ。結局、母娘が乗って来た古いワゴンRの下取り金額が20万円、値引きが20万円の合計40万円引きで納得いただき、商談は成立した。

 軽自動車1台売っても利益は知れている。ディーラーでは、利益を水増しするために「○○パック」という名目でボディコーティングや保護フィルム、盗難ロックといったどうでもいい物をセットにし、合法的に押し売りしているのだ。
 この商法は、ホンダに限らずどこのメーカーでも似たようなことはやっている。過去に何台も新車を買ってきた年配の客だと、見積書を見て「こんなものはいらない」とはっきり断るが、初めて車を買う客やあまり車に詳しくない女性客は、こちらの提示した見積り書の金額そのままに購入するケースがほとんどなので、なかなか美味しいパック商法なのだ。

 ある日、私と妻は岸和田駅に隣接して建つ高層マンション「岸和田スカイレジデンス」のモデルルームを訪れていた。
 結婚して10年。私達もぼちぼち持ち家を買おう、という機運になってきたのだ。モデルルームは、マンションの利便の良さと低価格が人気で、けっこう多くの客で賑わっていた。
「素敵ねえ。このアイランドキッチンっていうの。ずうっと前から憧れだったんだ」
 妻はモデルルームを心底気に入っているようだった。私も今住んでいる狭い賃貸マンションでは叶わなかった、自分の部屋が持てる事にちょっとした夢を抱いていた。私達は、どのタイプの部屋が価格的に手の届く範囲なのか、担当者に聞いてみることにした。
「あの、3LDKで80平米くらいの部屋が希望なのですが・・・」と言いかけて逆に女性の販売担当者から声をかけられた。
「ホンダの村上さん!その節は大変お世話になりました」
「あ・・・野田さんじゃないですか!?以前N-BOXをお買い上げいただいた。こちらで販売の営業をされているんですか?」
「ええ、私は村野不動産の社員なんです。今回、岸和田スカイレジデンスの販売にあたり、こちらのモデルルームに派遣されてきたのです」
「そうだったんですか。あ、こっちは私の家内です」
「野田と申します。よろしくお願いします。それでは、ご希望のお部屋について説明をさせていただきます」
 以前母娘でショールームを訪れた母親は、経験豊かな不動産のセールスウーマンのようだった。私達夫婦が訊ねた様々な質問にも、よどみなく答えてくれた。そして、私達の希望を聞き、ざっくりとした見積書をプリントアウトし、見せてくれた。見積書の中には、あまり聞き慣れないいくつかの項目があった。
 私は不明な項目についてその詳細を彼女に訊ねた。
「こちらは、オプションの明細になっております。『セキュリティパック』は、防犯装置や防犯カメラがお得な価格でセットになったパックです。『メンテナンスパック』は、10年間マンションの各種メンテナンスが無料になるパック、『クリーニングパック』は、10年間毎年1回、キッチン、バス、トイレといった汚れやすい部屋のクリーニングサービスを行うパックです」
「へえ〜!そんなサービスが付いているのね!修理やお掃除の心配をしなくていいなんて、やっぱり最新のマンンションは違うわね!」
 私は母親が次々と繰り出すパック商法に、やられた!と思ったが、何も知らない家内は、パック商法を完全に信じきっている。
「ありがとうございます。マンションをお買い上げのお客様は皆様このパックを付けていただき、喜んでいただいております」
 笑顔で話しかける彼女の表情には、「してやったり!」というメッセージが込められているのが私には良く分かった。

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