滝本秀隆 短編小説シリーズ 第5作「見積書」

見積書
泉州ホンダ岸和田湾岸営業所は、大阪・岸和田市にある湾岸道路に面する自動車販売ディーラーだ。
 泉州地域ではなぜかホンダ車の人気が高く、ホンダファンが多い。不思議に思った私は、以前店の先輩にどうしてこの地域はホンダが良く売れるのか訊ねたことがあったが、「このあたりはヤンキーが多いからだ」という答えにならない答えが返って来た。
 ヤンキーにはそれほどホンダファンが多いのだろうか?私には良く分からなかったが、秋のだんじり祭りを見に行くと、確かに大量のヤンキーの姿を見ることができた。
 私はこの店に配属されてもう10年になる営業マン、村上博和。この店ではトップの成績を誇るセールス・リーダーである。
 おっと、店の駐車場に1台の軽四が飛び込んで来た。私は条件反射のように店の外に飛び出て、お客様を迎えた。
「いらっしゃいませ!」私は誰にも負けない大きな声を張り上げた。客は、母と娘らしい女性ふたり組だ。なんとなくふたり共ファッションは、ヤンキーっぽかった。私はショールーム内に案内した。
「まずは席にお座りください。今日はどのような用件でしょうか?」
「新車よ、新車!新車を買いたいからわざわざやってきたの!」
 20歳くらいの娘の方が生意気な口調で言った。
「ありがとうございます。私は営業の村上と申します。まずはお飲み物をお伺いします」
 私はふたりの前にドリンクメニューを翳した。ふたりから飲み物のオーダーを受けたところで、私は本題を訊ねた。
「ところで、ご希望の車種はお決まりでしょうか?」
「N-BOXよ!カスタムで、ターボで、色は黒。この条件で早く見積もりを出して!」
「かしこまりました!」私は女王に仕える召使いのような返事をしながら、心の中ではしめしめ、と思った。車種だけでなくタイプや色まで決めている客は、最速で契約できるケースが多いのだ。あとは、客が納得できる値引き額を示し、勝負を決めるだけだ。
「お待たせしました。これが見積書でございます」
 私はおもむろに見積書をテーブルの上に拡げた。見積書を眺めていた娘が目をつり上げて低い声で言った。
「なにこれ!?」
「何でございましょう」
「車体本体価格が183万円なのに、どうして合計総額が254万になるのよ!70万円も余分に高くなってるじゃない!」
「それを今から説明させていただきます」私は努めて冷静な口調で、ゆっくり分かり易く説明していった。
「まず見積り書の真ん中の列をご覧下さい。これは自動車の登録に絶対必要な諸費用の明細です。自動車税や自賠責保険、車庫証明や希望ナンバー代などの合計が182,480円となっております」
「これは、分かるわ」
「次に、右側の列の説明です。こちらはオプションの明細となっており、お得な『ベーシックパック』は、フロアマット、ドアバイザー、ライセンスフレームに加えていつまでも新車の輝きを保つ『プレミアムコーティング』をパックしたものが、153,000円となっております。『ナビパック』は、8インチインターナビにドライブレコーダー、ナビ画面保護フィルム、ナビを盗難から守るナビゲーションロックの3点がセットになり、305,000円となっております。さらに『メンテナンスパック』は、5年間のメンテナンスが無料になる安心サービスが68,900円となっております」
「このなんとかパックって本当に必要なんですか?」
 今まで黙っていた母親が初めて口を開いた。
「いずれも必要な物をセットしてお買い得価格で提供しております。ほとんどのお客様がこのパックを付けていただき、喜んでいただいております」
「みんなが付けているんなら、それでいいわ。それより、合計金額からどれだけ値引きしてもらえるかが問題やね」
 車購入の決定権はあくまで娘の方にあるらしい。やはり最終的には、値引き額次第のようだ。
「精一杯頑張らせていただきますよ。今お乗りのお車は下取りに出されるのでしょうか?」
「もちろんよ。下取りと値引きでどれだけ引いてもらえるのか、せいぜい頑張ってね」
 口の減らない娘だ。結局、母娘が乗って来た古いワゴンRの下取り金額が20万円、値引きが20万円の合計40万円引きで納得いただき、商談は成立した。

 軽自動車1台売っても利益は知れている。ディーラーでは、利益を水増しするために「○○パック」という名目でボディコーティングや保護フィルム、盗難ロックといったどうでもいい物をセットにし、合法的に押し売りしているのだ。
 この商法は、ホンダに限らずどこのメーカーでも似たようなことはやっている。過去に何台も新車を買ってきた年配の客だと、見積書を見て「こんなものはいらない」とはっきり断るが、初めて車を買う客やあまり車に詳しくない女性客は、こちらの提示した見積り書の金額そのままに購入するケースがほとんどなので、なかなか美味しいパック商法なのだ。

 ある日、私と妻は岸和田駅に隣接して建つ高層マンション「岸和田スカイレジデンス」のモデルルームを訪れていた。
 結婚して10年。私達もぼちぼち持ち家を買おう、という機運になってきたのだ。モデルルームは、マンションの利便の良さと低価格が人気で、けっこう多くの客で賑わっていた。
「素敵ねえ。このアイランドキッチンっていうの。ずうっと前から憧れだったんだ」
 妻はモデルルームを心底気に入っているようだった。私も今住んでいる狭い賃貸マンションでは叶わなかった、自分の部屋が持てる事にちょっとした夢を抱いていた。私達は、どのタイプの部屋が価格的に手の届く範囲なのか、担当者に聞いてみることにした。
「あの、3LDKで80平米くらいの部屋が希望なのですが・・・」と言いかけて逆に女性の販売担当者から声をかけられた。
「ホンダの村上さん!その節は大変お世話になりました」
「あ・・・野田さんじゃないですか!?以前N-BOXをお買い上げいただいた。こちらで販売の営業をされているんですか?」
「ええ、私は村野不動産の社員なんです。今回、岸和田スカイレジデンスの販売にあたり、こちらのモデルルームに派遣されてきたのです」
「そうだったんですか。あ、こっちは私の家内です」
「野田と申します。よろしくお願いします。それでは、ご希望のお部屋について説明をさせていただきます」
 以前母娘でショールームを訪れた母親は、経験豊かな不動産のセールスウーマンのようだった。私達夫婦が訊ねた様々な質問にも、よどみなく答えてくれた。そして、私達の希望を聞き、ざっくりとした見積書をプリントアウトし、見せてくれた。見積書の中には、あまり聞き慣れないいくつかの項目があった。
 私は不明な項目についてその詳細を彼女に訊ねた。
「こちらは、オプションの明細になっております。『セキュリティパック』は、防犯装置や防犯カメラがお得な価格でセットになったパックです。『メンテナンスパック』は、10年間マンションの各種メンテナンスが無料になるパック、『クリーニングパック』は、10年間毎年1回、キッチン、バス、トイレといった汚れやすい部屋のクリーニングサービスを行うパックです」
「へえ〜!そんなサービスが付いているのね!修理やお掃除の心配をしなくていいなんて、やっぱり最新のマンンションは違うわね!」
 私は母親が次々と繰り出すパック商法に、やられた!と思ったが、何も知らない家内は、パック商法を完全に信じきっている。
「ありがとうございます。マンションをお買い上げのお客様は皆様このパックを付けていただき、喜んでいただいております」
 笑顔で話しかける彼女の表情には、「してやったり!」というメッセージが込められているのが私には良く分かった。

滝本秀隆 短編小説シリーズ 第4作「殺人依頼」

殺人依頼
南裕美は、殺し屋から指定された場所にいた。巨大モールの中にある駐車場だ。クルマにあまり詳しくない裕美は、スバル・レヴォーグと言われても見つけるのがなかなか困難だった。目印に、ハンドルの上にクマのぬいぐるみを置いているからと言われ、かろうじて発見することができた。
レヴォーグの運転席側から窓の中を覗き込もうとすると、ウインドウがスッと下がり、
「助手席に乗るんだ」と押し殺したような声が聞こえた。
裕美は言われた通り助手席側のドアを開け、乗り込んだ。
「南裕美と言います。このたびは、なにとぞよろしくお願いします」
「挨拶は不要です。私の名前は、黒木。それで依頼内容は?」
運転席に座る男は、黒いハットに濃いサングラスをかけているので、素顔は良く分からない。
「夫を・・・消してほしいんです!結婚してから3年間ずっとDVが続いて・・・もう、限界なんです!」
「なるほど。そのマスクは痣を隠すためですか?」
「ええ、いつも傷が絶えないですから」
裕美はマスクを外し、頬の痣を見せた。
「ふむ。ご主人から暴力を受けているのは分かりましたが、殺すというのは、あんまりでは?」
「夫の暴力はどんどんエスカレートしているんです。このままでは、私は夫に殺されてしまいます。」
「そうですか・・・ご主人の写真はありますか?」
「はい、これです。・・・あの、自然な事故に装ってほしいのですが」
「もちろん可能です。そのためには、ご主人の行動パターンや趣味、当面のスケジュールなど、できるだけ多くのデータが必要です」
「それもここに持ってきています」
裕美は多くの資料が入ったA4サイズの封筒を差し出した。男は資料をざっと確認した。
「いいでしょう。仕事の報酬は1千万円ですが、大丈夫ですか?」
「事故死ですと、5千万円の保険金がおります。お金の心配はありません」
「前金は500万円ですよ」
「はい、用意しています」
裕美は分厚い封筒を男に手渡した。男は中身をあらため、納得したようだ。
「残りは、仕事が完了してからいただきます。そうですね、ひと月以内に仕事は終わるでしょう」
「お願いします」


黒木は仕事にかかる前に、いつものように綿密な調査を始めた。ターゲットを尾行し、自宅から会社までの行き帰りを観察し、ターゲットが飲み屋に入れば黒木も続いて店に入った。ターゲットが同僚たちと話をしている内容にも密かに耳を傾けた。
2週間かけて、黒木はターゲットの素行を徹底調査した。

 裕美が昼間ゴルフの打ちっ放しをしている時、携帯の着信音が鳴った。
「黒木です」
「どうしたんですか? 順調にいっています?」
「南さん、ちょっと気になることがあるんですがね」
「何でしょうか!?」
「ご主人のことですが。私が詳しく調査したところ、ご主人はとても穏健で優しい性格のようだ。部下や同僚からの信頼も厚い。酒は弱い方で、酒を飲んで人が変わるということもない」
「何が言いたいの!?」
「どう考えても、ご主人は人に暴力を振るうような人間には見えない」
「主人は外ではネコを被っているのよ! 家の中では暴力男に豹変するの! 前金も渡しているんだから、ちゃんと仕事を遂行して!」
「わかりました。それでは」


4週間後、マカオでも最も豪華な滞在型IRゾートホテル、ザ・ヴェネチアン・マカオ・リゾート。
南裕美は派手なビキニ姿で、シャンパングラスを片手にプールサイドでくつろいでいた。
裕美の傍らに、鍛えあげられた肉体を持つ水着の男が近づいた。
「南さん、なかなか優雅な生活をしているようだね」
「黒木さん!どうしてこんなところに!?そうか、仕事を終えてあなたも休暇中なのね!」
「いえ、仕事はまだ終わっていません。私はご主人のことを調査しましたが、あなたのことも調べさせてもらいました。すると、面白い事実がどんどん出てきましてね。あなたは今まで5回結婚しているが、すでに4人の夫が事故死している。今のご主人が死ねば5人目だ。そして、夫が亡くなる度、高額な保険金を手に入れている。その総額は3億円を超えているはずだ。あなたはその金で贅沢三昧の生活をしている。今日もホテルのカジノで3百万円ほど散財したのではありませんか?ご主人が1日千円の小遣いで慎ましい生活をしているというのにね!」
「そんなこと、あなたには関係ないことでしょう!仕事が終わっていないのなら、早く日本に帰って主人を片付けて!」
「残念ながら、今回は事故死するのはご主人ではなく、奥さん、あなたの方ですよ」
「何をバカなことを言ってるの!私が依頼人なのよ!」
「私は融通のきかない昔ながらの人間でしてね。自分が納得のできない仕事はお断りしているんです。奥さんが今飲んでいるシャンパンには、ある薬を仕込みました。まもなくあなたは心臓発作を起こします」
「!!!!」
10分後、プールで溺れている婦人が発見された。まもなく救急隊が駆けつけたが、助からなかったようだ。


黒木はプールサイドのバーでカクテルを飲みながら、携帯で日本に電話をかけた。
「南さんですか。マカオで奥さんはお亡くなりになりました。お気の毒です」
「そうですか。どうも、お手数をおかけしました」
「今回の報酬は1千万円です。よろしくお願いします」
「妻が亡くなれば、私は3億の資産を相続します。1千万くらい、何てことはないですよ」

滝本秀隆 短編小説シリーズ 第3作「コロと蒼太」

コロと蒼太
「わぁ~ん!コロが、死んじゃった!」
 息子がとても可愛いがっていた、我が家の愛犬が死んだ。
「蒼太、命あるものはいつかは死ぬ運命なんだ。犬も人間もね」

 4歳の息子があまりにも悲しむので、次の日私はペットショップに犬を買いに行った。
ペットショップでは、本物の犬も売っているが、売り場の大半はAIロボットだ。何しろ、犬にしても猫にしても、AIロボットなら本物の5分の1の価格で買えるのだ。ロボットの方売れるのも無理はない。

 2038年。日本では依然としてペットブームが続いていた。しかし、飼われているペットは20年前とはずいぶん様相が違っていた。
 犬、猫に関しては、AIロボット犬が400万頭、本物犬が100万頭、AIロボット猫が500万匹、本物猫が120万匹と、いずれも飼われている数は本物よりロボットの方が4倍ほど多かった。
 高齢者が多くなり、散歩させたり餌の世話の必要のないロボットペットの需要が飛躍に高まったのだ。AIロボットペットの見た目や鳴き声、しぐさ、行動などが極めて本物に近づいたことも人気が高い要因となった。

「わぁ、コロだ!」
 私が買ってきたロボット犬に息子は抱きついた。死んだ愛犬と同じ柴犬で、毛の色もきさも同じ。息子が死んだコロと間違えてもおかしくはない。
「蒼太、今度のコロは、ロボットなんだ。だから餌は食べない。だけど、散歩したり遊だりしたら喜ぶから、ちゃんと世話するんだぞ!」 
「分かった!お父さん、ありがとう!コロ、遊びに行こう!」

 私の職業は、作曲家だ。2038年の現在、単純労働や肉体労働、事務作業や販売員など、ほとんどの仕事はAIロボットにとって変わった。私のようなクリエイターや技術者、医師、職人など、特定の仕事以外の人間はお払い箱になったのだ。
 技術の進歩は、必ずしも全ての人間を幸せにするとは限らないのである。

 私の仕事は在宅ワークだ。だから、仕事の合間に息子と遊ぶこともできる。妻も同で、職業はプログラマー。家庭で仕事と家事の両方をこなしている。
 私は仕事が一区切りついたので、息子を呼んだ。
「蒼太、今日はお父さんと何の勉強をする?あいうえおの勉強か、数字の勉強か、それともピアノを弾く?」
「あいうえおがいい」
「よし、じゃあ、お父さんが字を書いていくから、蒼太もそれを見て書くんだよ」
「わかった!」
 4歳の子供の吸収力はすごい。どんなことでも乾いたスポンジが水を吸うように、どんどん覚えていく。まるで空き容量の多い新品のパソコンのようだ。
「お父さん、あ、とお、は似てるね」
「うん、ね、とわ、も似ているから間違えないように書くんだよ」
 息子は夢中になって字を書いている。字を覚えることも遊びも、子供にとって区別はないのだ。 

 4年前、私達は都心から離れた郊外のニュータウンに引っ越した。50年前は賑やかだったニュータウンは、今どこも過疎化が進んでいる。少子化、高齢化と共に、駅から遠い不便な住宅地は嫌われ、空き家だらけのニュータウンならぬオールドタウンになっているだ。

 不人気の分、格安で買った一軒家を完全リフォームし、私は仕事柄楽器を使うので、仕事場は完全防音室に改装した。夫婦共自宅ワークなので、ネット環境さえ整えば、立地の不便さは関係無い。食料品も含めて買い物のほとんどはネット通販で事足りるのだ。

 郊外に住んで、良いこともある。都心より空気はいいし、自然も満喫できる。
 その日は、私と蒼太、コロの、ふたりと1匹で近くの山へ虫取りに行った。昔と違い、最近は虫の数も激減している。特にトンボの姿は、全く見なくなった。いったいどこに行ってしまったのだろう。
「お父さん、バッタを見つけたよ!」
「よし、捕まえよう!」
 私は虫取り網で素早くバッタを捕まえた。
「やった!捕まえた」
 息子は虫取り網からバッタを取り出し、かごに入れた。最近は、虫が恐いといって触ことができない子供が増えているが、その点蒼太は全然恐がらない。そういうところも、私は郊外に引っ越して良かったと思っている。
 ルルルル・・・腕時計型携帯電話が鳴った。某有名プロデューサーからだ。私は、蒼太にあまり遠くに行かないように、と声を掛け電話に出た。要件は、新たな仕事の依頼だった。
込み入った話に意外と話時間が長くなってしまった。
「蒼太!どこに行った!」
 近く姿が見えず、私は探し回った。
「コロ!どこだ!」
 かなりの時間山の中を探したが、なかなか見つからなかった。警察に捜索を頼もうか、と思った時、コロが山の上から走ってきた。
「コロ、蒼太はどこだ?」
「ワン、ワン、」吠えながら、コロは私を蒼太のもとへ案内してくれるようだ。
コロはどんどん山の上に登って行く。途中で止まると、また吠えた。
「この辺にいるのか?蒼太!」
姿は見えず、周りを探すと、「お父さん」という小さな声が聞こえた。声の方に近づくと、茂みに覆われた縦穴が現れた。穴の中に蒼太は落ちたのだった。
「蒼太!大丈夫か?すぐに助けに行くからな!」

 1時間後、救急レスキュー隊によって、蒼太は救出された。この事件以来、蒼太とコロはより親密になり、強い絆で結ばれるようになった。コロはロボットだが、学習能力が高く、頭がいい。蒼太が落ち込んでいたら、慰めるような態度で接し、蒼太が楽しそうにしていたら、コロも一緒に楽しむ。蒼太にとって、コロは心を許した友達だった。

 天気の良いある日、自宅近くの公園で私と蒼太、そしてコロはフリスビーで遊んでいた。
本物の柴犬なら、飛んでくるフリスビーをジャンプして空中でキャッチする、という芸当はなかなか出来ない。しかし、ロボット犬のコロは、抜群の運動神経でどこから飛んで来たフリスビーでも上手く捕らえた。
 私の投げたフリスビーは、風に乗って公園の外まで飛んでしまった。それでもコロはフリスビーを追いかけた。蒼太もコロの後を追いかけた。
 公園の外には、一般の車も往来する道路がある。住宅の中を走行する車は、制限速度30キロと決められている。しかし、その車は制限速度をはるかに越えたスピードでこちらに向かってきた。
「蒼太、危ない!」
 私が叫んだ時には、車のブレーキ音と同時にドン!と鈍い音が聞こえた。車に跳ねられ、宙に舞う姿が見えた。
「蒼太!」
 私は、地面に叩きつけられた息子に駆け寄った。コロが息子の周りを尻尾を振って走り回っている。息子を跳ねた車から、若者が降りてきた。
「すみません、ブレーキが間に合わなくて」
「蒼太、大丈夫か!」私は息子に声をかけながら様子を見た。
「すぐに救急車を呼びます」
 若者が言ったが、私は制した。
「その必要はありません。息子はロボットなのです」

滝本秀隆 短編小説シリーズ 第2作「催眠術」

催眠術
私は43年勤め上げた会社を、今月定年退職した。いきなり毎日が日曜日になった。
 毎日時間が有り余っているが、もともと運動は苦手だし、ゴルフも釣りもカラオケもしない。良く考えれば、私は趣味というものが何も無かった。
 忙しく仕事をしている時は、趣味なんか必要無いと思っていたが、これ程暇になると、趣味のひとつやふたつ持っておけば良かったと思う。おまけに、仕事を辞めたら会社の人間以外に友達というものがひとりもいないことに気づき、愕然とした。
趣味もなければ、友達もいない。先の長いシルバー生活で、これはちょっとマズいのではないか。

 家の中でゴロゴロしていたら、家内から「これ面白そうね!」と声が上がった。
「なんだ?」と聞くと、市の広報誌に「催眠術教室 参加者募集」という記事が載っているという。
「催眠術か。どうせ暇にしているから、覗いてみるか」
「行ってらっしゃいよ! どうせ暇にしているんだから」
「なんだ、涼子は行かないのか」
「私は忙しいから、遠慮しとく」

 私ひとりが、催眠術教室に行くことになった。教室の場所は、家の近くにあるカルチャー教室がたくさん入っているビルだった。教室を訪れると、10人ほどの参加者が集まっていた。参加者の顔ぶれは高齢者か主婦で、若い男性はいない。平日の昼間なので、当然だろう。
 部屋は、20名定員ほどの講義室だ。部屋の前面にはホワイトボードと3脚の椅子が置いてあった。
 午後1時になり、催眠術の講師が現れた。40歳くらいの黒縁眼鏡、鼻ひげを生やした男だ。 
「皆さん、今日は催眠術講座に参加していただき、ありがとうございます。催眠術とは、魔法でも特殊なパワーでもありません。誰でも学べばできるようになる技術なのです。どうぞ、催眠術の技術を習得してお帰りください」
 講座開始のあいさつの後、最初に催眠術とは何なのか?という概念の説明があった。身近にある思い込みの例を上げ、「簡単にいうと、催眠術とは様々な思い込ませる技術を使い、相手の身体や脳に変化を与えることなのです」
 講師の話術は巧みで、聞いているだけで催眠に引き込まれるような気がした。

 早速催眠術の実践が始まった。
「それでは、まず3人の方に催眠術をかけてみたいと思います。希望の方はおられますか?」
 何人かが手を上げ、講師から指名された3名が椅子に座った。講師は順番にひとりずつ催眠をかけていった。催眠がとけた後、催眠をかけるいくつかのテクニックを私達に伝授した。次に講師の指導のもと、参加者同士で催眠をかけ合った。
 2時間の講習だったが、全く経験の無かった私でも簡単に催眠術をかけることができ、満足感があった。趣味の無かった私が、ひとつ趣味と呼べるものが出来た気がした。

 その日の夜、私は家内と夕食をとりながらご機嫌だった。
「催眠術教室に行って良かったよ。催眠術があんなに面白いものとは思わなかった」
「それは、教室に行って良かったわね。お友達もできた?」
「いや、1日で友達はできないよ。だけど、教室に通っているうちに友達もできるだろう」
 食事を終えた頃、携帯電話が鳴った。昼間の催眠術の講師からだ。
「坂口さんですか? 本日は教室への参加ありがとうございました。今日の催眠術講座の参加者の中でも、はあなたは特に優秀でした。良ければ明日、あなただけにさらに難度の高い催眠術を伝授したいと思いますが、いかがでしょうか」
「願ってもないことです。私自身も、催眠術の才能があるとは、驚いています。何時に伺えばよろしいですか?」
 私は、催眠術の技術が優秀と聞いて、とても気分が良かった。

 翌日、私はまた催眠術教室を訪れた。講師が言った通り、教室に来たのは私ひとりだった。
「坂口さん、今日も来ていただき、ありがとうございます。電話でお話した通り、今から高度なテクニックをお教えします」
 私は、プロの術師しか出来ないという催眠術の技術を教えてもらった。
「坂口さん、あなたは本当にスジがいいですよ。催眠術もマジックと同じでセンスのある人は、上達が速いのです」
 そして、私を椅子に座らせ、指を鳴らしただけで一瞬で眠ってしまう、という高度な術を実践した。
 パチン!指が鳴り、私は本当に一瞬で眠ってしまった。そして次に指が鳴った時、はっと目が覚めた。眠っていたのは、1分ほどのはずだが、ずいぶん長く眠っていた気がした。
「眠っている間に、どこかの道を歩いている夢を見ました。わずかな催眠状態でも夢を見るのですか?」
 私は自分が見た夢について聞いてみた。
「催眠は、非常に浅い眠りの状態です。ですから、わずかな時間でも夢を見やすいのです。それでは、この指を鳴らして一瞬で眠らせる催眠術を、あなたに伝授します。これは少し難しいですよ」
「ぜひお願いします!」

 ひと月ほど経ったある日、自宅にふたりの男が訪れた。男は、バッヂを見せて言った。
「警視庁の者です。坂口さんですね。任意同行をお願いします」
「!任意同行? どういうことです!?」

「この近くのATMで、他人の口座から出金する、あなたの顔が監視カメラに写っていました。あなたは最近、催眠術教室に通っていませんか? 老人を騙す詐欺グループの一味が、催眠術教室をやっていましてね。教室の参加者に催眠をかけて、騙し取った金の出し子をさせていたのです」

滝本秀隆 短編小説シリーズ 第1作「煽りの真相」

僕の親友である滝本秀隆さんが、多くの短編小説を書いています。今まで未公開でしたが、僕のホームページを通じて公開することになりました。多くの作品がありますので、一遍ずつアップしてまいります。

煽りの真相

「黒のレヴォーグ、ナンバーは5648か。殺し屋にふさわしいナンバーだが、バレバレだな」男は広いモールの駐車場で、指定されたクルマを探した。
 ようやくクルマを見つけると、運転席側のウィンドウをノックした。ウィンドウが音もなく下がった。
「澤井さんか?クルマに乗るんだ」
 くぐもった男の声が聞こえた。澤井と呼ばれた男は助手席に乗り込んだ。運転席に座る男は、黒いハットに濃いサングラス姿で、素顔はよく分からない。
「澤井俊治といいます。この度は、よろしくお願いします」
「黒木です。どのような依頼でしょうか?」
「来月、刑務所から出所する男を消してもらいたい。男の名前は、宮本岳志。私の妻と子供を殺した憎き男です」
「ふむ。どのような事件だったのですか?」
「あおり運転です。7年前、軽自動車を運転していた妻は後から来たクルマに煽られたあげく、ハンドル操作を誤り、対向車と正面衝突しました。煽った男は過失運転致死傷罪で逮捕されましたが、7年足らずの懲役で出てくるとは、到底納得できません。私はあの男が消えて無くならない限り、一生無念が晴れないのです」
「なるほど。それで、男を殺したいと。どのような方法を希望されますか?」
「自然な事故に見せかけてほしい」
「一番難しい方法ですな。まあいいでしょう。報酬は1千万円。前金は500万円です」
「ここに持ってきています。それから、これは宮本に関する資料です」
 澤井は封筒に入った金と資料を殺し屋に渡した。
「仕事はターゲットが出所したら、ひと月以内に完了します」
「そうですか。よろしくお願いします」

 黒木はどんな殺人依頼を受けても、自分が納得できない限り仕事をすることはない。
 殺人依頼の対象である宮本が刑務所から出てくると、まず黒木は宮本の担当保護司を訪ねた。
「私はこういう者です。最近出所された、宮本さんについてお話を伺いたいのですが」
 黒木は黒木探偵事務所というニセの名刺を渡した。
「探偵さんですか。私も話せることと、話せないことがありますが。宮本は、罪を犯しましたが、もう刑期も務め終えました。これからは真面目な人生を歩むと思いますよ」
「宮本さんがもともとどのような人間だったのかを知りたいのです。以前から粗暴な性格だったのか、すぐにキレやすい人間だったのか?」
「宮本さんは 、 私の知る限り、知的で穏やかな性格の人です。あのような事件を起こす人間とは、到底考えられません」
「普段は真面目で穏やかと思われていた人が、クルマに乗ると人が変わったような運転をする人もいますよ」
「それは知っています。しかし、彼に限っては、こういっちゃ何ですがとても臆病者なんです。自らトラブルを起こすようなことは絶対にありませんよ」
「そうですか。いや、とても参考になりました」

 宮本が本当にあおり事件を起こすような男なのか?強い疑念を抱いた黒木は、今度は直接本人に会って話を聞くことにした。宮本が住むアパートは、保護司から住所を聞き出していた。
「宮本さんですね。私はこういう者です。少しお話を伺いたいのですが」
「探偵事務所? 何の話を聞きたいのですか?」
「あなたが7年前に起訴された、あおり運転のことで詳しい話を聞きたいのです」
「仕方ないな。入ってください」
「お邪魔します」
 部屋に上がったが、家具らしい物は何も無かった。
「事件のことを、率直に話していただけますか。あなたは7年前、どうしてあおり運転をしたのですか?」
「警察の取り調べでも、何度も話しましたが。あの日私は、後から来たクルマに煽られていたのです。私の前を走っていた軽自動車の速度が遅く、私もペースダウンしました。すると、私の後を走っていたクルマがイラつき、煽るように迫ってきました。仕方なく、私も前を走っていたクルマとの車間を詰めてしまった。それがあのような悲惨な結果を招きました」
「あなたも煽られていた!? ということは、あなたを煽っていたクルマにも責任があるということですね!」
「しかし、その話は警察も検察も信じてくれませんでした。今みたいにクルマにはドライブレコーダーもついていませんしね。証拠も目撃者も無く、どうしようもありませんでした」
「ふ〜む。後から煽られたクルマの車種は覚えていますか?」
「はっきり覚えていますよ。シルバーのポルシェです」
「その時、宮本さんが乗っていたクルマは何ですか?」 
「黒のハリアーです」
「なるほど。軽自動車を運転していた女性は、後から迫って来た大型のSUVに恐怖を感じたでしょうね」
「そうだと思います。私がたとえ煽られていたとしても、ふたりの命を間接的に奪った事実は変わりません。私は一生贖罪をする覚悟で生きていきます」
「どうもありがとうございました」
 この事件には、裏に大きな罠が隠されている! 黒木は本能的に何かがあると感じ取った。
 宮本がさらに後から煽られたというクルマ。それを突き止める必要がある。黒木は自身のネットワークを駆使してポルシェの捜索にあたった。

 2週間後、宮本を煽ったらしいポルシェを見つけた、と仲間から連絡が入った。ポルシェのドライバーは、依頼者の澤井が住む隣のT市で飲食店チェーンの社長をしていた。 
 居所を掴んだ黒木は、ポルシェの男をピタリとマークした。男は毎日、自宅から10キロ離れた店までクルマで通勤している。数日ポルシェを尾行して分かったのは、運転がとても乱暴なことだった。前を走るクルマが少しでも遅かったら、極端に車間を詰め、煽る。最悪のドライバーだ。宮本が煽られたドライバーに間違いなかった。こんな男を野放しにしておくと、また第二、第三の犠牲者が出るに違いない。神の鉄槌を受けるのは、宮本ではなく、ポルシェの男だ。

 黒木は、仲間に盗難車の大型ダンプカーを用意させた。そして、ダンプカーの後部にちょっとした細工をした。決行の日、黒木はポルシェの男が家から出て来るのを早朝からダンプに乗って張り込んでいた。
 午前6時半、男がクルマに乗り込み、出発した。ダンプもすぐにポルシェの後へ続いた。
少し走って、片側2車線ある国道へと入った。早朝なのでまだ道路は走っているクルマが少ない。
「今だ!」黒木は思い切りダンプを加速させ、強引にポルシェを追い越した。案の定、ポルシェは怒り狂ったようにダンプに接近し、煽ってきた。
「もっともっと煽ってこい!」黒木はアクセルが抜けるほどペダルを踏み込んだ。速度は100キロを超えた。ポルシェも遅れることなく、ギリギリダンプとの車間を詰め、怒りのパッシングを繰り出している。
 次に黒木は、ダンプのブレーキペダルを抜けるほど強く踏み込んだ。急減速したダンプの後部に、たまらずポルシェが激突。あっと言う間に炎に包まれた。黒木はダンプのリアに衝撃があるとガソリンが噴出する細工をしていたのだ。ポルシェはダンプの荷台の下にめり込み、車体は炎の塊となっていた。運転手は、まず助からないだろう。
 やじ馬が集まる前に黒木はダンプからこっそりと降り、近くに用意していたクルマに乗って現場から消え去った。

 黒木は依頼者の澤井に報告を入れた。
「無事仕事は完了しました」
「それは良かった。これでやっと私も溜飲が下がるというものだ」
「しかし、私が始末したのは宮本ではありませんよ」
「どういうことだ! いったい、誰を始末したというのだ?」
「あなたの奥様と子供を殺した、真の犯人です。本当は宮本さんも被害者だったのです。残念ながら警察も検察も事件の真相を暴くことが出来なかった。あの日、宮本さんは後から来たクルマに煽られたため、奥様のクルマとの車間を詰め、奥様が運転を誤ったのです。宮本さんを煽った男は、また煽り運転をしたあげく、あの世へ行きました。本望というべきでしょう。派手に火災を起こした自動車事故は、今日の新聞に載っていますよ」