滝本秀隆 短編小説シリーズ 第11作「新生児誘拐」

新生児誘拐

平成13年冬、神戸中央医療センター産婦人科。午前10時、新たな命が生まれた。
「元気な女の子ですよ!」
医師が赤ちゃんを取り上げると、赤ちゃんは精一杯大きな声を出して泣き出した。
「顔を真っ赤にして泣いてる。かわいい!」
伊藤弥生は、無事元気な赤ちゃんが生まれ、安堵した。
子供が生まれたと聞き、弥生の夫や両親もまもなく病院に駆けつけた。
「弥生、頑張ったね。やっぱり女の子は可愛いなぁ!」
ひとり目、ふたり目の子供は男の子だったので、夫は女の子をすごく欲しがっていたのだ。
「元気だったら、男の子でも女の子でもいいよ。なあ」
「そうよ。でも、髪の毛も多いし、しっかりとした赤ちゃんね」
両親は生まれた時から、赤ちゃんにメロメロだ。

弥生に赤ちゃんが生まれて3日目。病院では、大変な騒ぎが起こった。ちょっとした隙に、弥生の赤ちゃんがいなくなったのだ。
「いったいどこに行ったっていうの!」
弥生は半狂乱のようになっていた。連絡を受け、夫も仕事をほっぽり出して病院に駆けつけた。夫は、院長に食ってかかった。
「どういうことなんです!?」
「赤ちゃんは、何者かにさらわれたとしか考えられません。このフロアの全ての部屋は、汲まなく探しましたが、見つかりませんでした」
「さらわれた!?さらわれたで済む問題ですか!私達の大切な子供なんですよ!」

通報を受け、兵庫県警の捜査員がまもなく病院へやって来た。誘拐事件として捜査が始まった。捜査員たちは、医師や看護師、赤ちゃんの両親から事情聴取を行った。聴取の後、捜査員のひとりが話した。
「伊藤さん、良く聞いてください。新生児誘拐は、金銭目的より子供が欲しいと思っている女性が犯行に及んだケースが多いのです。とはいえ、犯人から要求の連絡があるかも知れません。もし犯人から金銭の要求があれば、犯人を刺激しないように、とにかく要求を飲んでください」
「分かりました。携帯電話は、いつでも出れるようにしておきます」

県警では捜査本部が置かれ、多数の捜査員が投入され目撃者探しや病院周辺の聞き込みが行われた。また、誘拐事件では報道規制が行われるのが常だが、2日経っても犯人からの連絡がなかったため、報道機関向けの記者会見が行われた。
新生児誘拐事件は一般のニュースや昼のワイドショーで大きく報道された。世間でもこの事件は話題になり、県警には多くの目撃情報が寄せられた。しかし、ほとんどの情報は事件とは無関係だった。
伊藤夫婦はテレビ番組にも出演し、犯人に対して子供を返すように呼び掛けた。
結局、犯人からの連絡もなく、何の手掛かりもなく、子供は見つからないまま、18年が経った。

平成31年冬。
巨大なショッピングモールの駐車場で、伊藤弥生は指定された車を探していた。
「黒のスバル・レヴォーグ?どんな車なの?ナンバーは、5648か」
苦労して、やっと車を見つけた。弥生は運転席の窓をノックした。窓は音もなく下がり、男のくぐもった声が聞こえた。
「伊藤さんか?」
「そうです」
「助手席に乗るんだ」
助手席に乗り込んだ弥生は男の顔を見たが、黒いハット、サングラスにマスクをしていて、素顔は全く分からなかった。
「伊藤弥生です。よろしくお願いします」
「私は黒木。要件だけを聞こう」
「はい、・・・18年前に私の子供を誘拐した女を、殺して欲しいのです」
「もう少し詳しく話して」
「私は18年前に子供を出産しました。ところが、3日後にその子供が突如病院からいなくなったのです。子供は何者かに誘拐され、全く行方は分かりませんでした。それでも私は、親の執念で子供を探し続けました。ついに3ヵ月前、私の顔に似た18歳の娘を見つけ出しました。唯一の特徴である、口の横にホクロがあったのです。私は娘を尾行し、住んでいる家を見つけました。その後は探偵事務所に頼んで、家族や子供の出生届について調査してもらいました。結果、娘は私の子供に間違いないことが分かりました。娘のニセの母親の名前は、中尾由梨花、45歳です。私の赤ちゃんを盗み、18年間、ぬけぬけと暮らしてきた憎き女です。私を18年間苦しめ続けた女を絶対に許すことはできません」
「なるほど。女を処罰するのなら、警察に通報することは考えなかったのですか?」
「18年も経っているので、すでに時効です。それに、懲役刑では全く納得できません」
「そうですか。女を始末する費用は、1千万円、前金が500万円です。用意できますか?」
「はい。前金はここに持ってきています。それと、これが女の写真と資料です」
「それでは、私なりにもう少し調査して、仕事にかかります。完了したら、連絡します」

黒木はいつものように依頼された仕事にかかる前に綿密な調査を開始した。始末する女のことだけでなく、依頼者の伊藤弥生についても詳しく調べた。すると、意外な事実が浮かび上がった。

弥生のスマホに、黒木から連絡が入った。
「伊藤です。仕事が完了したのですか?」
「いえ、まだ終わっていません。あなたに少しお聞きしたいことがあるのです。あなたの子供が行方不明になる1年前、ふたり目のお子さん、確か2歳だったと思いますが亡くなっていますね。そして、子供が行方不明になった1年後には、離婚して旦那さんがひとり目のお子さんを引きとっている」
「何がいいたいの!?私の依頼とは関係のない話でしょう!」
「関係は大有りなのです。私は、離婚された旦那さんに詳しく話をお聞きしました。すると、あなたは自分の子供をずいぶんと虐待していたというじゃありませんか。キレやすい性格で、ストレスがたまると子供にあたってしまう。飲酒の依存症でもあったそうですね。旦那さんは、このままでは子供が殺されてしまうと思い、離婚して子供を引きとったとお聞きしました。ふたり目のお子さんが亡くなったのも、あなたが虐待して死なせたのではありませんか?」
「何を勝手なことを言ってるの!子供が亡くなったのは、ただの事故よ。警察の現場検証でも事故として処理しているんだから、何の問題も無いわ」
「そうですかね。私は、あなたの自宅周辺でも、近所の方々に聞き込みを行いました。近所の方は、ずいぶん昔のことなのに、しょっちゅうあなたが子供を叱っている声を聞いた、と覚えていました。当時、子供も身体に青アザが絶えなかったとも言っていましたよ」
「刑事でもないのに、何を聞き込みをしているのよ!」
「それだけではない。ふたり目のお子さんが亡くなった時、2千万円の死亡保険金を受け取っている。これは子供にかける保険金としては異例に高額だ」
「そんなことどうでもいいでしょう!」
「伊藤さん、私の判断は、こうです。あなたには、どうやら子供への虐待癖があるようだ。母親として、子供を育てる能力が欠落している。となると、あなたの3人目のお子さんは、何者かに誘拐された方が、子供にとって幸せだったのではないでしょうか?実際、今暮らしている母娘はとても幸せそうでした。中尾由梨花さんは、子供を立派に育て上げました。娘さんは、今年京都の大学に合格し、楽しそうに通っています」
「幸せそうに暮らしているっていうのが、我慢ならないのよ!さっさと母親を消して!それがあなたの仕事でしょう!」
「あなたは、話の分からない人だな。私は今回、あなたからの依頼を受ける気はない。まともに子供を育てることもできないあなたが、中尾由梨花を始末する資格は無い。さらに、今後あなたが中尾由梨花や娘に近づくことを私は許さない。もし、近づいた時は、私があなたを始末しますので、そのつもりで」

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